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「カメジロウの遺言」(瀬長瞳著、ゆい出版)を読んで
 著者の瀬長瞳さんは「カメさん」「セナガさん」「カメジロウ」の愛称で多くのウチナーンチュから敬愛され、信頼・尊敬された「不屈の政治家」瀬長亀次郎氏の長女である。
 おそらく50代以上のウチナーンチュで”瀬長亀次郎”の名前を知らない者は少ないだろう。「50代以上」としたのは、私の勝手な思い込みにすぎない。

 瀬長亀次郎氏は、米軍支配下の沖縄で、常に大衆の先頭に立って農民運動、労働運動を指導し、米軍から違法・不当な弾圧を受け、投獄(1954年、沖縄人民党事件)されながらも不屈に闘った「沖縄のガンジー」である。
 生前の瀬長亀次郎氏の風貌は、写真で見るガンジーそっくりであった。

P3120097.jpg
瀬長瞳著「カメジロウの遺言」(ゆい出版、2012)

 本書の表紙にも、沖縄の著名な版画家である儀間比呂志さんによるカメジロウの似顔絵があるが、鋭い眼光、強い意思を示す太い眉、ウチナーンチュ独特の「ハブ カクジャー」(ハブのような顎。沖縄語でヘビのことをハブと呼ぶ)は、まぎれもなく「カメジロウ」であり、その風貌たるや「ウチナーのガンジー」そのものである。

 ここで、私のブログを読んで下さっている方に、瀬長亀次郎氏の若干の経歴を紹介する。
 1954年立法議員に当選、同年10月沖縄人民党事件で不当逮捕、アメリカの軍事法廷で暗黒裁判の結果投獄、出獄後に那覇市長に当選、沖縄初の国政選挙で衆議院議員に当選(日本共産党)、1987年脳梗塞を発症、後継者にバトンタッチして7期19年余の衆議院議員生活に幕を閉じ、引退した(詳細は「不屈 瀬長亀次郎日記」を読むべし)

 瀬長亀次郎氏は、自他ともに認める沖縄革新のシンボル的存在であり、県政界をリードした偉大な政治家である(現在の私と党派は違うが素直に認める。多くのウチナーンチュがそのように評価するだろう)

 私とカメジロウとの出会いは、たしか1958年3月16日だったと記憶している。
 その日、小学校の卒業式を終え、春休みに入るということもあり、兄から隣の平良川まで映画を観に行こう、と誘われた。バスで映画館に向かっていると、途中で停車を命じられ、MPが乗り込んできた。乗客の大人の話で「平良川の演説会に人民党のセナガカメジロウが来るので、阻止すべく臨検している」とのことだった。

 急きょ、映画鑑賞を取りやめ、演説会を聞きに行った。
 具志川村役場(当時)広場の裸電球の下で聞いたセナガさん、又吉一郎さんらの演説に深い感銘を覚え、共感し、酔いしれた。

 その後、中学生になると、人民党の演説会があると耳にすれば、「瀬長節」を聞くためにあっちこっちに出掛けた。
 当時は、CICなどからの弾圧を恐れて、演説会場の周囲の木立ちに隠れて、また家の中で戸を閉めて聞き入る大人もいたが、私など学生服を着けたまま聞き惚れていた。

 私個人の瀬長亀次郎氏についての思い出や論評を綴るのが、今日のブログの目的ではない。ぜひ「カメジロウの遺言」を購入のうえ、ご一読ねがいたい。

P3120098.jpg
瀬長瞳・内村千尋著「生きてさえいれば」(沖縄タイムス社、2010)

 著者の瀬長瞳さんには、父・亀次郎、母・フミさんについて記述した妹・内村千尋さんとの共著「生きてさえいれば」(沖縄タイムス社、2010年)もある。また、瀬長亀次郎氏に関しては、生前ご本人による著書、論文も多数あり、「不屈 瀬長亀次郎日記」(琉球新報社、1~3巻)がすでに発刊されている。

 本書には、瞳さん(長女)から見た「父親カメジロウの」素顔や、温もり溢れる父娘の手紙のやり取りも収録されている(もちろん母娘の情愛も綴られている)。そこには政治家、不屈の闘志の上着を脱いだ「人間カメジロウ」がある。

 さてさて、ブログで駄文を長々と書いていてはカメジロウの実像を誤り伝える、と叱られてはいかん。
 最後に、法的に「遺言」を説明すると、生きている者のみが資格者であり、権利者である。その意味で、カメジロウに私的な遺言書があったかどうかは知らない。「カメジロウの遺言」は、いわば公的遺言書である。

 著書の瞳さんは「カメジロウは3つの『マジムン』がいると21世紀の人たちに言い残して逝った」と本書に綴っている。
 その「マジムン」(沖縄語で魔物、妖怪、化け物を意味する)とはいったい何なのか。1つに「米軍と日米安保条約」2つ「大企業、独占資本」3つ「大企業と癒着して、それに全面奉仕している自民党と民主党」である、とのこと。
 カメジロウは、これら3つの「マジムン」退治は、政治を変えることだと提言している。長女・瞳さんが本書で明かす「カメジロウの遺言」である。

 本書には、田中前沖縄防衛局長の「犯す」発言に対する瞳さんの批判文もあり、一読すると「亀次郎節」が聞こえてくる感じがする。やっぱり父娘だなー。

 ぜひ多くの人に「カメジロウの遺言」を読んでほしい。沖縄では、各書店に並んでいる。

3月12日 18時30分

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