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43年ぶりの海上集会、「復帰」への願いと欺瞞
 昨日に引き続き「4.28」沖縄にとっての「屈辱の日」について書く。
 今朝の地元二紙は、43年ぶりに再現された海上集会の様子を一面トップで、社会面に関連記事を報道している。

P4290128.jpg
4月29日付・地元二紙

 海上集会とは「祖国復帰闘争」当時、北緯27度線の洋上にサバニや漁船などで集合し、沖縄・本土双方が早期復帰実現を叫びあった集会のことである。サンフランシスコ平和条約第3条によって、本土と沖縄が北緯27度線を境に分断されたことに由来する。

 間もなく(5月15日)迎える復帰40周年を節目として再現された海上集会は、単なるノスタルジアを呼び起こすものではなかったと信ずる。おそらく、当時「祖国復帰闘争」の中で、復帰運動を組織した者、参加動員された者、そして今回初参加した復帰世代の者それぞれが、復帰40周年の沖縄の現実をしっかりと見つめながら、望んだ「祖国」から裏切られ、今なお国策の犠牲を強要されている「復帰の欺瞞」を告発しつつ、新たな闘いの創造を決意し、誓い合ったはずである。

 実は、私も海上集会に参加したことが一度だけある。1965年のことだ。詳細な事情は知らないが、たしか1965年当時、海上集会は分裂して開催されていた。

 私は1964年に琉球大学に入学した。農民運動に熱心だった亡き父の影響と、瀬長亀次郎に代表される人民党の運動に触発され、入学直後に民青系全学連の副会長になった(民青に加入したことは一切ない)
 
 その関係で民青系全学連との交流、原水禁大会への参加のため、初めてパスポート持参で本土へ渡航した。
 ところが、出発予定の日にパスポートは発給されず、ひどい目にあった。抗議行動を重ねて、やっと発給を勝ち取り、東京晴海に上陸した。
 
 上陸審査を終え「あこがれの祖国」に足を踏み入れて間もなく、ズボンの後ろポケットのパスポートを紛失(スられたのかは不明)しているのに気づいた。
 それからが大騒動だった。学生会代表としての行動は、毎日各地を転々としている。幸い、下宿を共にしていた久高君が再発行手続きをとってくれて、海上集会の現場で再発行されたパスポートを手渡してくれたのである。

 復帰前の沖縄に憲法は適用されず、渡航、援助の自由や基本的人権の保障もなかった。
 再発行されたパスポートが先日、資料を整理していたら出てきた。

 復帰40年目の沖縄の現実は、復帰前と本質的には変わらない。もちろん、復帰前と大きく変わった沖縄社会の現実もある。
 何が変わり、何が変わらなかったのか、変わっていないのか。復帰40年以降、これから沖縄はどう歩むべきか。一人のウチナーンチュとしてしっかりと考え、行動していきたい。

 海上集会のほろ苦い思い出だ。

4月29日 11時
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