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復帰40年、あの日の僕、今日の僕
 1972年5月15日の本土復帰から40年目の今日は朝から「皐月空」が広がり、強い陽光が刺している。
 今日の地元二紙は、復帰40年特集と別刷りの特集号を発行している。両紙ともに2~3日かけて、熟読玩味すべき内容でいっぱいだ。

 冒頭、復帰前の昭和44年(1969)4月8日に発行された私の身分証明書(パスポート)を掲示する。
 私が初めて「本土に渡航」した際に発給されたが、紛失し再発行され、友人の久高将雄より海上集会で受け取ったものである。いらい、復帰の年の3月に司法研修所を終え、弁護士登録する直前までの渡航歴が記入されている。

P5150131.jpg

 復帰前の沖縄は、憲法の適用もなく、憲法で保障された移動・居住の自由もなく、本土(県外の他府県)へ行くにもパスポートが必要であった。米軍から「好ましからざる人物」と睨まれると、パスポートが発給されなかった。
 私も初渡航時のパスポートが出港予定日までに発給されず、学生会での抗議の末、ようやく発給された。

 復帰の日、私は復帰式典のあった那覇市民会館隣りの与儀公園に居た。どしゃ降りの雨にうたれ、復帰協主催の「5・15抗議県民大会」に参加したのだ。集会で県選出の上原・瀬長・喜屋武の国会議員の演説を聞き、桃原用行復帰協会長の訴えを聞き、会場に参集した仲間と復帰による「沖縄処分」を糾弾し、デモ行進に参加した。あの日の情景は、未だに忘れられない。

P5150134.jpg
5月15日「沖縄タイムス」特集号

 復帰から40年目の今日、私は一人の県選出の国会議員ととして、「復帰の欺瞞」と復帰後も続く国策による犠牲の強要と「国策の欺瞞」を告発し、撃ち続けている。
 特に、憲法法体系に優先する安保法体系が日々県民の生命と安全を脅かし、ウチナーンチュの尊厳を侵していると訴えている。日米地位協定の全面改正の実現なしに、ウチナーンチュの尊厳回復はあり得ない。

 復帰40年の間に、たしかに社会資本の整備は進んだ。しかし、40年間変わらぬ膨大な米軍基地の存在と、高い失業率、低い県民所得は沖縄の自立の障害になっている。
 一方、琉球王朝いらいの文化・芸能に対する誇りの念は、自信を持って高まっていると言える。若者のスポーツにおける活躍も目を見張るものがある。だが、開発至上主義、効率優先で破壊されたウチナーの自然も多いのも事実だ。

 私は一昨日、復帰40年の「5・15県民大会」に参加した。夕方は、普天間基地に配備予定のオスプレイに抗議する集会にも参加した。

 復帰40年目の今日、深く思うのは「復帰」にかけた願いが日米両政府によって裏切られ、構造的沖縄差別に苦悩する県民と共に、闘い続ける決意と覚悟である。
 これまでも、そして、これからも「ウチナーの未来はウチナンーチュが決める」との政治信念で政治活動を続ける。一人のウチナーンチュとして、したたかに生きていくつもりだ。

   5月15日 10時30分
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