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サイパン・テニアン慰霊の旅 -その3- 第40回南洋群島慰霊墓参団に参加
 慰霊墓参の旅を主催した南洋群島帰還者会は、1948年2月に石川市(現うるま市)の宮森小学校で結成されている。捕虜になった我が一家は、1946年2月に沖縄に引き揚げている。
 わが一家は、約1年半の収容所生活だったことになる。中城村久場崎に上陸している。沖縄戦で焦土と化し、既に米軍占領下にあった沖縄での南洋群島帰還者会の結成は早く、その目的は南洋群島への再渡航であったというから驚きだ。「玉砕」といわれる程のサイパン・テニアンなど南洋群島での戦火で肉親らの命を失い、全ての財産を失った帰還者らが再渡航を願った心境は、何だったのだろうか。現に、「帰還者会」はGHQのマッカーサー司令官あてに南洋への移住許可を要請している。

 記録によると、戦後初の南洋群島墓参団は、1968年5月31日サイパン・テニアンに渡っている。私が、琉球大学を卒業し、社会人の第一歩を印した年だ。墓参団の目的は、山中に散乱する遺骨を収集し、慰霊碑を建立する為であった。だが、遺骨の沖縄への持ち帰りは、北マリアナ連邦政府の許可が得られず、海岸や山中で拾った石を霊石として持ち帰ったとのこと。

 思い出すと、亡き両親や周囲の“南洋帰り”の方々も、口々に“もう一度サイパンに移住したい”と話していた。1968年の第一回慰霊祭いらい回を重ね、今年は第40回(テニアンでの慰霊祭は第32回)となる。遺族らの高齢化で今年が最後の慰霊祭になると表向き発表されているが、サイパン・テニアンでの慰霊祭における遺族代表や「帰還者会」の役員らの挨拶では、「生きている限り慰霊墓参を続けたい」との願いが語られた。

 ススッペの収容所で生まれた私も、間もなく64歳になる。私も、生きている限りサイパン・テニアンにはこだわりたい。そして、子や孫らにも、私の生地やサイパンを記憶して欲しいと希望する。単なるノスタルジーではなく。

5月28日現地時間15時00分 テニアンにて

南洋群島墓参団010
-日本軍最後の司令部跡-

南洋群島墓参団011
-わが一家が隠れたマッピーの山-

南洋群島墓参団012
-日本軍の砲-

南洋群島墓参団013
-バンザイクリフ ウェルカムとも書いてある-

南洋群島墓参団014
-バンザイクリフ-
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この記事に対するコメント
小生は66歳になる遺児です。
父は昭和19年7月サイパンから横須賀の海軍研究所に帰還する飛行機で戦死(と思われる)
この年になり父の勤務地サイパンに是非行ってみようと思っていますがどのような手はずで進めようかと思っています。日本遺族会に資料を取り寄せたり旅行社に問い合わせたりすることから始めようかと思います。
何か方法があれば教えてください。

太字の文
【2009/09/02 11:27】 URL | 塚越 #5wgQYYEs [ 編集]


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