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サイパン・テニアン慰霊の旅 -その5- 軍民混在の戦場、生き残った者が目撃したもの
 米軍がサイパン島に上陸したのは、1944年6月15日。同年7月7日日本軍の総攻撃まで激しい地上戦が展開された。(7月8日に日本軍による組織的攻撃があった、との記録もあると聞いた)
 墓参団に参加したサイパン・テニアンでの生き残りの者から直接に聞いたり、記録を読んだりしたところによると、沖縄戦の状況と似ている点が余りにも多い。その中でも、軍民混在の戦場であった、というのが特徴的だ。軍民混在の戦場で日本軍から「民間人は邪魔者扱い」を受けた、と証言する者は多い。同時に避難した壕の中で、自決の強要や壕の中から追い出された者、腹を空かし水を欲しがった泣く赤ちゃんを「邪魔だ 殺せ」と命ぜられて、わが子の首を絞めて殺したとの母親の証言もある。もちろん、日本軍による虐殺もあった。
 
 また、日本軍から手りゅう弾を渡されて自殺を図り生き残った者もいる。要するに、軍民混在の中での日本軍の本質は、サイパン・テニアンでの戦争も、沖縄戦の実相も本質的に同じなのだ。軍隊は住民の命など守らないのだ。地上戦は沖縄戦だけが唯一ではない。サイパン・テニアンも地上戦だ。ウチナーンチュは、サイパン・テニアン・沖縄戦で地上戦の犠牲になったことを忘れてはいけない。

Hさんの証言
 Hさんは、南城市(旧佐敷町)に住んでいる。一緒に墓参団に参加する。Hさんには、サイパンで声をかけられた。Hさんによると当時13歳。日本軍から渡された手りゅう弾で一家自決。奇跡的にHさん一人生き残った。13歳のHさんは地獄絵図を目撃したのだ。「慰霊墓参には、毎年参加していると言う。来年以降、墓参団として来れなくとも個人としてサイパンの地に死んだ家族に逢いに来たい。生きている限り・・・」と語ってくれた。

Uさんの証言
 読谷村に住む80歳のUさんは、姉や関係者8人で墓参団に参加していた。私の支持者であり、熱心に応援しているとのこと、嬉しい。Uさんにはサイパンんで声をかけられた。聞けば、Uさん一人は沖縄の親戚に預けられ、一家はテニアンへ。Uさん一家6人は、米軍の爆撃を受ける。母親が末っ子に覆いかぶさり、一人だけ生き残る。当時4歳の末妹H子さんは、爆死した家族のそばで何を見たのか、何を記憶しているのだろうか。妹H子さんは、戦後沖縄に引き揚げ、Uさんと再会を果たす。悲惨だ。戦後、孤児同然に逞しく生き抜いたUさん兄妹に感動した。

Kさんの証言
 Kさんとも墓参団で初めて会った。「初めて会った」と思っていたが、彼女の話によると、具志川中学、前原高校の1期先輩だ。しかも、旧具志川市の出身で、戦死した父親が私と同じ、字米原の出とわかった。両親は、親や親族らに結婚を反対され、いわゆる「恋の逃避行」でテニアンへ。(南洋群島に渡ったウチナーンチュの中で、出稼ぎ以外に恋の逃避行が多かったらしいというのは、何度も聞いた)テニアンで父親が戦死、沖縄に引き揚げたが母親は結婚に反対され南洋に渡ったので、夫の里に戻れず、八重山へ移住し亡くなったとのこと。結婚の反対理由は、因習によるもので、今であれば笑いの種にもならないような些細な理由だ。今回の慰霊墓参の旅で、Kさん、Hさんの二人の具志川中学、前原高校の先輩に巡り合い、懐かしい恩師や母校の話になった。Kさん、Hさんの両先輩とは、6月23日の南洋群島帰還者会の慰霊祭・総会でも再開を約束した。

Iさんの証言
 テニアン島の生き残り、Iさん(73歳)の証言には涙した。米軍がテニアンへ上陸したのは、1944年7月24日。それ以前から空襲は受けている。Iさん一家は、テニアン島カロリナス台地の岩場に身を潜めていたらしい。するとサイパン島からの米軍長距離砲による爆撃を受け、一瞬にして一家即死。奇跡的にIさん一人が助かったとの事。Iさんは「戦争に正義などない」と語っていた。

 このように、今回の墓参団に参加して休憩どき、食事どき、追悼式などで重たい証言をたくさん聞いた。あらためて戦争の悲惨さを知った。政治家として、一人の人間として、平和国家創造への決意を新たにした旅であった。

30日 13時45分
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