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照屋寛徳 社民党・衆議院議員 沖縄2区
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具中物語 -その1- 磨け知徳の不壊の珠玉(ふえのたま)
 母校具志川中学校(現うるま市立、旧具志川村立→具志川市立)が、創立60周年を迎えた。1月25日、創立60周年記念式典・祝賀会に出席をした。
 昭和23年(1948)4月1日、学制改革により、現兼原小学校敷地に創立されたと沿革史には記されている。沖縄戦が終わり、島中が灰燼に帰した頃だ。
 私は、具中の13期卒で、入学が1958年4月、卒業は1961年3月である。私が在籍当時、具中は私の住む字米原の隣、字平良川にあった。当時の字平良川は、役場所在地で村の政治・経済の中心地だった。
 通学は徒歩だ。字米原はバスも通ってなく、もちろん自家用車がわが家にあろうはずもない。級友達の多くが、徒歩通学だったと記憶する。
 今日の記念式典で、久しぶりに校歌を大声で歌った。月並みの表現だが、胸にじ~んとくるものがあった。作曲は、字米原の大先輩、恩師で、媒酌人で、県議を引き継いだ尊敬する田場盛徳氏である。作詞は、小学校の恩師(校長)の仲里嘉英氏。
 表題の「磨け知徳の不壊の珠玉(ふえのたま)」とは、校歌2番の詞の一部だが、3年間の在校中ウーマク(わんぱく、悪童)でちっとも「知徳を磨く」生徒ではなかった。一方で、「百合の梯悟の精神意気(こころいき)」(校歌4番)だけは、あったのかなぁ、と思う。ユリもデイゴも大好きな花でもある。
 ここで、当時の教師(恩師)達について、60周年記念史に書き綴った一文を引用しよう。

=====
 熱血教師とウーマク達  (第13期生  照 屋 寛 徳)

 母校具中への想い出は当時の学友教師、学び舎の配置や周辺風景、登下校時の路傍の総体として記憶に残る。いつ、いつまでも。
 具中に在籍したのは一九五八年から一九六一年。沖縄社会も「混迷と激動」の米軍占領下の時代だった。そういう「時代の風」が生徒の日常や意識に何らかの影響を与えた事は間違いない。校長は中村光誠先生、聖人君子だった。
 熱血教師田場盛徳氏。豪傑教師幸喜世松氏。高潔教師横田裕之氏。情熱教師新屋武雄氏。豪腕教師仲吉、安田、中村先生、新米教師比嘉清順氏。詩人教師仲里友豪氏。純情教師具志堅トミ(現在玉那覇)その他多勢の恩師の指導を得た。個性的で魅力あふるる先生方であった。母校の恩師達への感謝と畏敬の念は年を重ねる毎に深まるばかりだ。
 一方、学友達はウーマクーオテンバが多くガリ勉はいなかった。今時のような塾もなかった。
 学友の全員が高校進学を目指している状況ではなかった。
 陸上、野球、バレーなどスポーツも盛んで、活躍が光っている具中健児も多かった。
 私は卓球部だった。
 三年生の時、当時民連の五人の立法議員を呼んで時局演舌会を校庭で開催した。学校からの中止命令はなく、黙認。教師も遠巻きに聞いていたように思う。
 三年担任の故新屋武雄の影響で六〇年安保闘争に関心を持った。まさか、衆議院議員として日本の安保政策を論ずる立場になろうとは思ってもなかった。
 わが家は、サトウキビ、養豚が主の農家であり、放課後や夏休みは、毎日のように手伝わされた。ヒージャー草カヤーも日課であった。ウーマクー過ぎて、当時から今日までお世話になりっ放しの恩師が多い。学友の一部とは三〇年来親睦模合を続けている。
 何名かのラブレター代筆もやったが、一件も恋は実らなかった。
 母校の想い出は、当時の校歌の一節「仰げ誠実の人の道 磨け智徳の不壊の玉」として、わが心に生き続ける。

=====

 編集者から求められた字数では、お世話になった教師全てに触れることはできなかった。創立から10年以上が経過した頃の入学だが、当時の沖縄の世相を反映して、教師にも「凡人・軍人・変人」(田中眞紀子衆議院議員の造語)が居た。
 「軍人」といっても、徴兵され、生き延びた者である。「変人」は、いま流の型にはまらない、管理されない、個性派だ。想い起こせば、個性はあふるる情熱教師が多かった。
 これからも、学友達との思い出、学校生活、教師達とのエピソードについて、随時このブログで『具中物語』シリーズとして書き綴っていきたい。
 ちなみに、わが具中の卒業生は、第1期から第60期まで18,479名である。

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